2016年5月31日火曜日

街道歩き 浜松~新居 (8)

無事関所を通過して
 
 
こちらに泊る寄る



 


紀州藩の御用宿



この人もひと風呂浴びたのですね。



名物 うなぎの蒲焼。
壺の中から干からびたタレが発見されたそうです。



新居宿の町並みは

大地震と津波で宿場が壊滅した後、

町を現在地に移転するにあたって
寺社を山麓に配置し、

碁盤目状の京都風の街並みを導入したそうです。



紀伊国屋の裏には、


大正期に芸者置屋であった

小松楼。

 


きれいどころ

こちらの手すりに寄りかかり。

行き行く人を眺めていたのかな?


案内ボランティアガイドさんが、


いろいろ見せてくれました。






こちら小松楼は
無料で見学できました。
 




 
 
 
 

 


この石は江戸時代当時の敷石
と思われる。


もう少しだけ歩きます。

2016年5月26日木曜日

街道歩き 浜松~新居 (7)

今回のウォーキングの
山場である関所越え
の回となります。


何なんでしょうね~

山頭火の
水のまんなかの 道がまっすぐ

を過ぎると、


関所を見学。
立派な門は
最近になって復元されたもよう。
 


 
これから改めを受けます。

 
関所を挟んだ両側の住民は自由に行き来もできなかった。

新居と湖西は遠州の国ですが、人や物流は西側の
吉田と盛んになり、先ほどの手筒花火も
吉田が発祥ですが、新居でも毎年行われています。


京側の入り口


 


 

 

 
今では想像できませんが、
江戸から来た旅人達は、このように
船で浜名湖を渡り、
そのまま関所に入ったそうですよ。
 
この石垣は
当時の船着き場の名残かな?
 
 
 
 
 


新居関所の正式名称は
今切関所だそう。

今切れの渡船の権利は新居宿にあったそう。

対岸の舞坂宿では、何度も訴訟を起こし、

渡船収入をせめて折半にと幕府に申し出たが、
新居宿は最後まで権利を握りづめて手放さなかった。



両藩は明治になるまで仲が悪かった。


それで、旧舞阪町は浜松市と

旧新居町は湖西市と合併したんですね
(^^)/



嫁にやるなら今切れの向こうはダメだ。
なんてこともあったりして。


私の妹は浜松から新居に嫁に行きましたが、
元気にしているかな?

 
 
 
 
 

2016年5月25日水曜日

街道歩き 浜松~新居 (6)

ここが渡し船の
船着き場
 
 

雁木(がんげ)
と呼ばれていた。


石畳をスロープ状にした桟橋で、
雁の行列のように階段を付けたから
こう呼ばれているそう。

 
舞阪
あのでっかい山は何なんでしょうね?
 


渡してくれそうな船を物色してみた。




気分だけ味わってください。

現在の今切れ口


 
歩くか。
弁天橋通過中
 
 
 

 
弁天神社で旅の無事を祈ります。
 

 


去年のゆるきゃらグランプリで、
この辺りに来たな。




コーヒーを飲みたくなったら、


こちらの豪華ホテルでリゾート気分も味わえる。


疲れたので、
電車でワープする。

 
 
弁天島駅~新居駅
を約5分でショートカット
 
実際の東海道は船で通過したわけだから
問題ありません。
 

新居駅(しんきょではない。)